今年を振り返って
あっという間に、今年も終わりに。みなさんはどんな1年だったでしょうか。私達家族にとっては、一言で言うと挑戦の年でした。何に挑戦したのか、と思い出してみると…
カリンは、9月から新しいクラスに入り、日本語を話す友達がいない中、毎日過ごしました。樹里が産まれてうれしいけれど、、とっても小さくて、病院にいて、おねえちゃんとして複雑な思いをしながら新しい環境でよく頑張りました。最初は、1日学校に行くだけで、かなり疲れて、ストレスから手を噛んだりしていましたが、いつも学校には行きたいと言ってくれたのが救いでした。今では独り言も英語になってきて、先生の物まねやごっこ遊びをよくしています。幼稚園には、ワンピースを着てくるかわいいお友達が多いので、それにとっても憧れています。(私は、トレーナーとズボンで遊ぶのが良いと思いますが。)引き続き反抗期絶好調、勝気な性格とマイペースぶりは相変わらずで、来年もパワーアップしてくれることと思います*^^*
夫も今年は頑張り時でした。夏に会社での試験があり、日本語で資料を揃え、インタビューも日本語ということで、何度も練習しました。日本人と替わらない条件で行うということ、英語に置き換えて考えてみると、とても大変なことだと想像できます。母国語の中で働く数倍の苦労が掛かるのですが、越えてみて良い経験だったと言っていました。そして、その試験合格の知らせの翌日、私のTTTSという病気が発覚。休む暇もなく、病気との挑戦が始まりました。とにかく、もう有給休暇はシンシナティーで使ってしまったので、休めないという緊張感の中、12月まで働きつづけることになりました。
こういった状況下の中、私自身も「自分でできることは自分でやる」ことに挑戦しました。考えてみると、自分一人で行ったオーストラリアに比べると、甘えている部分があったなあと。あの時の充実感が思い出されたとも言えます。海外赴任の奥様という立場から一歩出て、一人の生活者として、病院通いや書類関係の提出、日常の買い物や人々との出会いなどを通して見えてきたもの、学びが多くありました。まるでマラソンをしているようでもありました。ちっともかっこよくない怪我だらけの状態で。それでも、立ち上がって足を止めないで、ゴールまで行くこと、篤姫じゃないけれど、それが己の役目だと感じていました。
そんなこんなであがいていると、どこからか助け舟というか、声援がやってくるというのもありがたいものです。それは、時においしい肉じゃがや手作りケーキであり、温かい言葉の数々でした。一緒に泣いてくれた友人もいました。
多くの方から、後から私に何が起きていたのかを知って、「何もできなくて、本当にごめんね。」と言われました。そんなことを言ってもらえるだけでうれしく感じましたが、私も同じように思ったことが、8月のシンシナティーでありました。
シンシナティーで羊水除去のために、病院を訪れたときのこと。私が呼ばれるのを待っていたとき、ある女性を待合室で同じになりました。手には手錠、両側には刑務官に付き添われた囚人服を来た受刑者でした。10代でしょうか、若いきれいな白人女性。目は床一点を見つめて、じっとソファーに座っていました。私は、あの時会った女性の姿が今も忘れられません。
妊娠していたのでしょう。中絶のため訪れていたのかはわかりません。ただ、妊娠という女性として喜ぶべきことを希望を持って受け止められない孤独感、絶望感が彼女を覆っていました。私が日本で見た、病院で妊娠がわかって母親とはしゃいでいた若い女性や彼と妊娠したことをどう親に言おうかと相談していた十代の女の子とは、まったく違う現実です。薬に手を出したのか、窃盗をしたのか。彼女は、寂しさの中で行ってしまった罪と向きあっていました。一緒に悲しんでくれる母親はいるのだろうか。もし、そこに一言声をかける誰かがいたのなら、彼女は希望を持って更生できるのではないか。
私は何かしてあげたらと思いました。でも、結局何もできませんでした。彼女の両側にいる刑務官、そして彼女の服を見、私が外国人だから、英語だからといろいろな言い訳がよぎりました。折り紙でもあって、彼女に鶴でも何でも持たせたかった。でも、実際には私は何も行動に移せませんでした。このとき、「おもいやり」とは、勇気のいることなんだと思いました。
2月のブログで書きましたが、支援していたパキスタンへの支援は、事務所が襲撃されてから半年後活動が打ち切られました。何とも残念であり、厳しい現実です。
今年の世界のニュース、明るいニュースよりも暗いニュースが目立ちました。ここデトロイトはビック3のお膝元、多くの人々が雇用の不安に直面しています。デトロイトの市内は、全米でもワースト1になるほどの治安の悪さ、それと共に貧しさが同居し、アメリカの闇が存在しています。それでいて、私の住んでいる地域は、比較的治安の良い地域であり、安心して住むことができます。その街の様子は歴然たる差があります。しかしながら、大きな家の前に売家の看板が目立ってきました。夢のマイホームを手放す人が確実に増え、ミシガンから人が去って行っています。日本にも雇用不安が広がり、路上で年を越す人も多いと聞きます。
混迷に向かう世界の中で、私達はこれからますます先行きの見えない不安と向き合っていくことになることでしょう。その中にどっぷり漬かっていき、希望を見出せない人も増えてくるでしょう。自分の思い通りにならないことばかりが続いていくと、どんなに頑張っていても疲れてしまうことが誰にでもあります。
そんな中で一人一人が何ができるのか、もう一度考えてみる時代に入ったと言えるのではないでしょうか。
以前、名古屋駅でホームレスの人にパンを配っているイラン人の人を見たことがありました。日本人に配っている外国人がいる、衝撃的でした。私達が目も止めない人に。彼はパンと一緒に「思いやり」を配っていました。イランの男性も辛かったときがあったから、一つのパンがどんなに嬉しいかを知っていたはずです。
私自身病気になってみて初めて、ずっと寝ている辛さや不安の中にあって、配られた「おもいやり」のありがたさを経験しました。その一つ一つは順調な生活の中では見えなかったものばかりでした。
私も、みんな、それぞれに精一杯頑張っている世の中で、倒れそうになっている人がいたら、その人が必要としている「おもいやり」をそっと差し出せる心のスペースを持っていたい、そのために努力したいと思うようになりました。
28日で結婚7周年を迎えました。年々挑戦するハードルも高くなり、国際結婚も大変だあ(よく言うグチ)と思うことも多々ありますが、来年も一緒にハードルを越えていければと思います。
それにしても、樹里の寝顔を見て、一番頑張って成長しているのは樹里だなあって思います^^ほんと日に日に大きくなっています。
長々と書きました。読んでくださってありがとうございます。みなさん、どうか良いお年をお迎えください☆





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